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マー日誌

幸せって私が考えているより深い深いものなの?

人と絶縁してみて、はじめてその人のよかったところがわかることもある。でももう会うことも、喋ることもないだろう。人は歳をとるにつれて、体力は衰えてくるけれど、希望が薄くなってあきらめることを覚えるから、精神的には楽になって、だからこそ表現者は鈍くなって・・・・・・・、なんて。歳をとると、こうすればこうなるっていうのを覚えてきて、それってすごい悲しい。もっと私たちはピュアだったはずじゃないかー。しかし、手を繋いで歩いている街を歩く熟年カップルは素敵だなあと思う。どんなに人気があったって、信じあえる人がいなければ意味がない。意味ってなんだろう。みんな一所懸命生きているのは事実。必死じゃないと生きていけない。昨日シェシズのライブを七針まで見に行った。前見たときよかったからだ。なけなしのお金5千円を持って、グルーヴを生で感じたかった。結果、時間とお金を捨てたのかなーと思った。でも、得るところもなくもなかったわけではないけど。ライブとか映画見に行くって、ギャンブルみたい。いいときもあるし、つまんないときもある。でもどちらにしろなにかは残るから、競馬とかで摩るよりマシなのか?10年くらい前に、マヘルのライブを法政大学へ見に行って、そのときはいいなあと思ったけど、今マヘル見たとき、なんかやだなあと思った。あのへんの雰囲気って苦手だな。じゃあどこが得意かというと、どこにも属せないけれど。工藤さんによくなかったってライブの感想を言ったら、100回に1回くらいはいいみたいなこと言われて、昨日はそうかーって納得したけれど、今考えてみたら、そんなの逃げだよって思う。逃げって思ったって、価値観が違うんだから仕方ないのか? でも私はそう思うんだ。カートコバーンの遺書をネットで読んで、感じやすいと書いてあって、私もそうで、もっと鈍感になりたいと思っている。そんなこと、くだらないよ、憤ることじゃないよって、思う自分もいるんだけど、すぐ悲しくなったり、繊細過ぎて困る。でも、人を傷つけることには鈍感な部分があって・・・・・・・。帰り道に歩いている人見てるほうが、ライブよりずっとおもしろかった。なんか、工藤さんは自分の見せ方をわかっていて、そこから逸脱しないから、ずるいなきしょいなって思うけれど、シェシズでは、向井さんがいるから、キャラ薄くなっててまだいいなーと思っていた。普通にギター弾いているときいいなって思う。即興ってよっぽどうまい人じゃないと、おもしろくなりようがない気もする。自分が人と話すとき、案外、はっきり言えなくて、笑って誤魔化すところがあって、そこを直したい。もうずっと前から思っているが、なかなかできていない。今、新アルバムのレコーディングを命・生活を削って、(命は懸けてない)している。昔ほど多重録音するの楽しくないけれど、昔だってテイク1しか楽しくなかった、テイク3くらいになると、発狂しはじめてくる。それでも、いいものをつくりたいっていう思いで、諦めなかった。今回も人に少し演奏手伝って頂いているけれど、人が少し入ると、私のグルーヴが弱くなる。私のグルーヴは強くて私にしか出せないんだって最近わかった。みんなそれぞれのグルーヴを持っていて、音楽だと、音になって伝わる。ポールマッカートニーの曲はいいけれど、そこまでグッとこない。ジョンの曲のがグッとくるのはジョンという人間が出しているから。
by myrel | 2014-01-26 15:29
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